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昔の話

2010年3月7日 4件のコメント

録画した「題名のない音楽会」を数回分まとめて視た。先週はブーニンが出演していて、この人は風貌も弾き方もピアノオタクって感じだなあなんて失礼なことを言いながら視ていた。

弾いているピアノがFAZIOLIだった。漠然とスタインウェイがカッコいいなあと思っていたのだが、ピアノの横についているロゴはFAZIOLIがイタリアっぽくてカッコいいなあと思った。まあ、僕がピアノについて思うことはそんなところのど素人なわけなのだ。もちろん弾くことなんか全然できない。
そのFAZIOLIの中にある演奏者のサインとか演奏中のピアノ内部の動きを見ていて、ふと昔のことを思い出した。
僕は中学生の頃吹奏楽部に入っていた。音楽センスはからっきしなのだが楽器は好きで、朝刊の配達を一年間やって貯めたお金で銀メッキ仕上げのアルトサックスを買ったり(中学生が独力で20万円を貯めたのだから我ながら偉いと思う)、思春期頃のあこがれのフォークギターを買ったり(あの頃、学生服に白いギターがついてたりしたもんだったなあ)、ハーモニカとかオカリナを買って遊んだりしたもんだった。まあ、何ひとつモノになっていない訳だけど(^^;
いや、そんな楽器を買った話はどうでもよいのだ。ピアノの話。
僕はそういう楽器好き少年だったわけ。
ある年の文化祭の前のこと。音楽の先生に呼ばれて職員室に行ったら、工具を渡されて音楽室のグランドピアノ(学校のだからもちろん長くないタイプ)を体育館に運ぶように指示された。具体的な指示は特に無かったのだが、音楽室は2Fにあって、階段を使っておろさなければならないのだった。階段通るならピアノはバラさなければいけない。
クラスの数人に手伝いをお願いして体育準備室から体育マットを一枚持って音楽室に行き、グランドピアノの分解をすることにした。
まずはペダル部分をはずし、次に鍵盤上の蓋をはずし、さらに鍵盤下のネジをはずして鍵盤機構をまるごと取り出して先に運ばせた。運ぶ連中には「絶対鍵盤に触るな。ハンマーの部分が折れるから。」と念押しを忘れずに。
次に本体の上の蓋を外して運ばせ、体育マットの上に本体を横倒しにして脚をぜんぶ外して運ばせた。
これで弦のついた本体部分だけが残った。こいつをとりあえずマットに乗せて階段まで持って行き、5人ほどでじわじわと階段をおろして体育館まで運んだ。組み立てるのは逆の手順だ。
特段問題なく組みあがって音も出た。その後調律とかしたのかどうかは知らない。でもちゃんと文化祭の役にはたった。
と、ここまで思い出してふと考えた。「分解-運搬-組み立て」の間、先生が監督していたわけではなかった。僕が勝手にどんどん進めてしまっただけなのだが、今考えると結構オソロシイ。
普通の中学校で乱暴に使うようなものとはいえ、れっきとした楽器である。しかも大物を階段を使って下ろしたのだ。
今の僕ならとても子どもたちにそんな指示はできないし、ちゃんとバラして組み立てることができるなんて思えない。
もちろん音楽の先生だってそう思っていたに違いなく、監督しに行こうと思ったらすでに仕事は終わっていたという感じだったと思う。僕が無茶をしただけ。だからといって怒られたってわけではもちろんない。
でも、中学生くらいになるとこれくらいはやれるんだよなあと考え直した。
安全面への配慮は別にして、ある仕事をやるためにどういう段取りが必要か、手順はどうするか、注意点がなにかを考えるというようなことをちゃんとやらせているだろうか?
家庭でも学校でも「お客さん」のように扱われるのに慣れてしまうと社会に出て使える人間にはとてもなれない。本当にオソロシイのは実はそっちなんだ。
音楽っていろんな過去の記憶を引き出すし、いろいろ考える刺激になるものなのだねえ。。。
ちなみに僕がバラしたピアノはYAMAHAだったなあ。

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適当

2009年10月11日 6件のコメント

「適当にやる」「いい加減にする」ってよく考えるといいことだと思うんだけど、悪い意味にばかり使うのは何でだろう。
これが悪い言葉になる背景には、物事は一生懸命にやるのがあたりまえとかがんばるのがあたりまえということがあるんだろうな。
今や「命を懸けてやる」だって悪い意味になりかかっているんじゃないかな。ま、どこかの業界用語だけどさ。

まあ、「適当」とか「いい加減」というのは個人差が大きいから良くないということはある。だけどそれは大量生産の工場の品質管理みたいな範疇での問題で、ひとりひとりの人を見たら「適当に」、「いい加減に」やるのが最終的に良い結果を生むことが多いと思う。もちろん悪い意味の「適当」「いい加減」ではないよ。(ややこし)。

「適当」「いい加減」を額面どおりにやっていれば、メンタルな問題はだいぶ軽くなる。まあ、それができれば苦労しないという人も多いだろうけど、要するにそういうことだ。自分にとって「適当」「いい加減」をちゃんと見きわめるのが大切なのだな。

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公然の秘密

2009年9月17日 2件のコメント

公然の秘密ってやつをほじくり返すとたいてい厄介なことになるよね。

密約暴露→追認→改正→晴れて合法

ってのはまだ心の準備が出来てない。
鳩が鷹ってのに胸騒ぎが。。。

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歩く

2009年9月1日 コメントする

歩くのは昔から好きなのだけど、nike+iPodを使い始めてから、ますます歩くのが楽しくなった。
なにが楽しいかというと、歩いた距離がわかるからなのだ。
もちろん完全に正確というわけではないのだろうけど、一応距離表示のあるサイクリングロードでキャリブレーションして、さらに歩いてほぼ正確な距離が出るのを確かめた。だからまある程度信頼できるのだ。
それでわかってきたのは、なんとなく歩いて移動する距離は意外と長いということだった。


目的地があるときの距離は長く感じるが、散歩でぶらぶら歩いているときは実際の距離より短く感じる。休日に散歩をしていると、気がついたら10kmということがよくある。しかしこれが全然長く感じない。札幌の地下鉄は駅間が比較的短いから、3つとか4つとか平気で歩けてしまうのだ。

歩きながら考えた。
子供の頃、自転車に乗り始めたら自分の力で動ける範囲が急に広くなってうれしかった。自分で貯めたお小遣いで鉄道旅行に出たときも、行動範囲が広がってうれしかった。免許をとってバイクや車で移動するとその自由な広がりがうれしかった。仕事で飛行機にちょこちょこ乗るようになったら、単位時間あたりの移動距離がぐっと広がって面白かった。移動するスピードが速くなるにつれて自分の世界が広がったような感じがした。
でも、改めて自分の足で歩いてみて、移動中に自分が見ているモノの量はあまり変わっていないのではないか、だとすると移動スピードが速くなるということは感じるモノの密度が低くなっていることなのではないだろうか?と考えた。
歩いているときに目に入るモノの量は乗り物に乗っているときとは比べ物にならない。それに気づくと歩くのが楽しくて仕方がなくなった。歩いているときはいろんな事を考える余裕がある。ボーッとしていても危険は少ない。細い路地にだって入っていけるし、意外な近道を見つけることもある。
nike+iPodが表示するのはただの数字だけど、その裏には景色や道端のモノや、心に映っては消えていく思いみたいなものが詰まっている。
歩くことで昔の距離感が戻ってきた。それがなんだかとてもうれしい。

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面倒だった話

2009年6月15日 6件のコメント

久しぶりにケンタッキーフライドチキンに行った。別にどうしてもチキンが食べたいと思って行ったわけではなくて、たまたまそこが駐車場が広くて入りやすかっただけなのだ。
カウンターに行ったらちょっと困ってしまった。メニューが複雑過ぎて選べないのだ。しかもあのカウンターって人を急かすムードがあるでしょう?(僕だけかな。そう感じるの)
困るのはあのなんとかセットってやつなんだな。セットだと少し安いらしいけど、欲しくないものも入っている。おまけがついているからうれしいというわけではないから結局バラでオーダーする形になる。疲れるのでしばらく近よらないようにしようと思ってしまう。
この感じ、ケンタッキーだけじゃなくて、マクドナルドでも同じだ。サブウエイのサンドイッチは好きだけど、順番に選んでいくのが面倒過ぎると思うことがある。
バシッと一品勝負。とまではいかなくてもいいけど、もっとシンプルにならないものかな。選択肢が多いならじっくり考えることができるようにというのもいいと思う。
ファーストフードはもう終わっているな。とまあ、こんな風に感じるのはそういう年齢になったということなのだろうな(^^;

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言葉

2008年11月9日 6件のコメント

言葉が出てこないもどかしさがなあ。。。
感じていることを表す言葉がうまくみつけられないんだと思っていたんだけど、
実際は言葉はあってもそれを言う自信がないんだ。
今頃気づいたのかよって言う人もいるだろうな。

逆に、
俺、こんなこと思ってんじゃないんだけど、なぜか勝手に口が回っているなあ、
と、思うこともよくあるな。
喋っている自分をすぐ隣に座っている自分が見ているように感じるというか。
あれ、俺じゃないよな?とか思っているんだ。喋りながら。

とても興味があって、毎日見ている人がいて、なんだか躓いているのに気づいたとき、
話を聞いて自分の知っていることを伝えたり、アドバイスをしたり、結構いろんなことを話したりするんだけど、
言いたいのはこんなことじゃないよな?って思いながら口だけ回っている。
「頑張れ。」
って思いながら、肝心のその言葉を口から出すことができずにどうでもいいことばかり喋っている。

「頑張れ。」は「同じことを感じている」でそれは「好き」とつながっている。
だけどそれを「頑張れ。」でホントに表せているのか?
なんて思ってしまう自分が情けなくて、
やたらと不機嫌になってしまったり。な。

「頑張れ。」
ってまっすぐ口に出せるようになりたいな。

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窮屈なはなし

2008年8月2日 2件のコメント

最近、コンプライアンスやらセキュリティやらで職場の規則が厳しくなってきて、いろんな意味で窮屈になってきたなあと思う。
「これをちょっと実験してみよう」と思っても、そのための準備とか手続きを考えるとめんどうになってしまうことも多い。というか、そういう煩雑な事をやっているうちに最初のアイデアが色褪せてしまうのだ。
実験というか試行錯誤というのは大事なもので、頭で考えただけのものがどれだけ不完全なものかわかるし、やってみることで思いがけない新しいアイデアが生まれたりもする。だからそういうことを制約する環境は辛いのだ。
なによりまずいなと思うのは、コンプライアンスとかセキュリティとか(ときにはエコロジーとか)という言葉が出てくると思考停止するという現象が見られることだ。自分のアタマで考えるということを放棄してしまうのだ。
たぶんこういうことは今のニッポンのあらゆるところで起きていると思う。まあ、これがニッポン人らしい姿なのかもしれないが。
このままでは先細りするような気がしてなんだか暗い気分になってしまうのだなあ。。。

ちと仕事が忙しくなったら愚痴っぽくなってしまった(^^;

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ふたたびけちな話

2008年7月6日 2件のコメント

ガソリンの値段がもうとんでもないところまで来てしまったので、日々の行動が変わってきた。
以前は休日にはわりと近郊までドライブということが多かったのだが、今はほとんど出かけなくなって、電車で行ける範囲をうろうろする事が多くなった。ちょっとした距離を散歩するようになった。するとクルマだったら気づかないような面白い店を見つけたりして、それはそれでとても楽しいということを発見した。
クルマに乗るのが少なくなったとはいえ、やっぱりクルマじゃないと行けない場所もあって、仕方なくクルマで出かける。しかしその時にエアコンをつけずに窓を開けて走るようになった。エアコンと比べたら快適さは格段に落ちるのだが、それでもガマンしているというほどのことはない事がわかった。風を感じて走るというのも悪くはないものだ。
それで考えたことは、今の暮らしは少しばかり贅沢になりすぎているのだなあということだった。エアコンをかけて寒いといって厚着をしてみたりブランケットをかけてみたりみないなどこか倒錯したガマンよりは、夏の暑さをガマンするほうがよほど健康的なガマンじゃないか。食べ物だっていつでも食べられるように過剰に作って残す暮らしに慣れすぎているような気がするし、何でもかんでも年中食べられなくたって別に困らないじゃない?
別に豊になることが悪いと思っているわけではない。ちょっとガマンをしてみたら、それは意外と深刻なガマンじゃないってことを感じたのだ。モノの値段が高くなっても、まだまだちょっとしたガマンで済んでしまう。テレビで生活防衛とかなんとか騒いだりしているけど、まだちょっとしたガマンの範囲で、そんなに深刻なものじゃない。もちろんそうじゃない人たちがいることも承知はしているけど。
で、こりゃ厳しいよなと思ったのは、物価がじわじわあがっても、デフレはそう簡単に収まらないってことなのだ。要するに今まで安すぎるモノによりかかって余分に贅沢していただけで、物価はまだ普通の水準までは上がっていない。上がったら上がったで、贅沢しすぎていた部分がとりあえず解消されるだけだから、みんな必要なものしか買わないので、今までの贅沢推奨型の経済にどっぷり浸かったビジネスモデルはうまくいかなくなってしまうのだな。
まあ、いずれは贅沢貯金も使い果たしてしまう時が来るのかもしれないから、徐々にガマンに慣れていくのも悪くないのではないかなあとウチワを使いながら考えた。

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考えることと書くこと

2008年6月15日 4件のコメント

考えるというのは疲れることだと思う。
しばらく通っていた心療内科の先生が言っていた。「脳はかなりカロリーを消費する」。

僕は考えるのが好きだが、得意ではない。記憶力に自信がない。さっき話していたことをすぐ忘れる。
これが厳密な議論の時の障害になる。論理が破綻する。

だから、議論は文章にしてやりたいと思うのだが、これがまた辛い。
文章にすると厳密さに磨きをかける必要がある。前に書いたことをごまかせないわけだから。
だから何度も読み直す。読み直す度に粗さが見えて書き直す。どんどん読み直して書き直す。
たかだか20行の文章に3時間かかる。どっと疲れる。そのへんで良いことにしてしまう。
その度に自分の能力のなさに悲しくなる。

それでも書くのが好きなのは、考えるのが好きなのだ。
考えるのは疲れることだが、その疲れは結構好きなのだ。
悲しくなるのも実は嫌いではないのだ。それは考えるネタなのだ。

考えている間は幸せだ。結果を出すのは不幸の始まりだが、それは幸せの始まりでもあったりするから、結局僕は幸せだ。

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パソコン使うのが面倒で。。。なぜか王様

2008年4月6日 コメントする

家での話ですが。

一日仕事でPCに張り付いているのは今に始まったことではないんだけど、それが原因なのかたまに家でパソコンを立ち上げるのが億劫になる時期がある。先週はそういう時期で、今日もまだ続いている感じ。

PCを使わないというだけであって、インターネットにアクセスしていないかといえばそんなことはなく、すぐにアクセスできてしまうiPod touchは手元でちょこちょこいじったりしていて、メールとかブログとかはそれなりに読んでいる。ただ、このガジェットは入力が弱点だし、VOXにいたってはまったく使い物にならない。だからインターネット上へのアウトプットが止まってしまっているわけ。

Xactiで撮ったなぞのお掃除部隊とか、電車の先頭から前を見た動画とか、人によっては面白いと思う画像をアップロードしようと思いつつ、面倒でほったらかしになっている。

昨日は久々に安くなったガソリンをクルマに給油して、出かけてみるかと思ったのだが、結局買い物に行っただけだったし、今日こそ天気がいいから出かけようと思っていたのに「小さな王様」になって建築術をふるうのが面白くなってしまって一気に70日以上も進んでしまったりして、大変に不健康だ。

もうひとつ、本にはまっているというのもあるな。「デルフィニア戦記全18巻のうち、この2週間足らずで12冊読んでしまったのだ。そうか、こっちのほうが影響が大きいのだな。

デルフィニア戦記も王様が出てくる話だし、なんとなく王様な気分なのかもしれないな。

明日は「こ~じょおのけむ~うりぃ」でも聞きながら出勤しようかな(謎)。

というわけで、そのうちたまったモノをどっとアウトプットという時期がくるかもしれません(笑)。

 

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